体験したバイク事故から学んだ大切な教訓

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忘れはしない。

2018年 4月20日 午後8時頃。

ぼくはふと目が覚めた。

そこはベットの上、包帯でぐるぐる巻きの右足には管の付いた小さな機器が取り付けられていた。

胸には心拍計測機。お腹には数十センチの手術痕。

わけがわからなかった。

周りを見渡すと、どうやらそこは個室で知らない場所。

唯一ぼくが知っている人がいた。

母親だ。

母の顔は疲れきっていた。

ぼくは母に聞いた。

「ねぇ、母さん、ここは何処?」

か弱い声で返事が返ってきた。

「あなた、バイクで事故にあったのよ。」

意味が分からなかった。

その時、ぼくはこう思った。

「あぁ、俺はとんでもない悪夢を見ている。気味が悪いくらいにリアルで、上手く創られた夢だ。まぁ、そのうちいつものベットの上で目が醒めるだろう。」

目を瞑ってみる。

いっこうに寝れる気がしない。

しょうがないからベットの傍にあったスマホを見た。

4月20日、20:24、、、

最新の記憶を辿ってみると、鮮明に記憶として残っていたのは、同年3月16日の高等専門学校の卒業式だった。

ぼくの事故があったとされているのは、2018年3月17日の夜8時頃だったそうだ。

神奈川県の川崎市にある、国道一号と府中街道が交わる十字の交差点で、

ぼくが乗っていた150ccのバイク(直進)とミニバン車のハイエース(右折)がぶつかる事故だったという。

もし仮にそうだとするならば、ぼくは約一ヶ月の間、"空白の時間"を過ごしていたことになる。

「ふふっ、夢だよ夢。こんなことあるわけないじゃないか。寝よう。寝ればいつもの世界に帰れるんだ。」

そう思った。

というよりも、そう信じたい気持ちでいっぱいだった。

しばらくしてその日は寝ることができたのだが、次の朝も、その次の朝も、ずっとその場所にいた。

現実は一切変わらなかった。

それどころか、その日からどんどん知覚がハッキリとするようになったのか、

自分の身体の症状の話、交通事故の話、休学した大学の話などと、よりいっそう現実味が増していった。

決定打は、事故の見分調書に載せる写真を見た時だった。

加えて、一ヶ月間の記憶が曖昧だったのは、頭部を強打したことにより、脳の右脳と左脳を繋ぐ軸索が損傷していたからであるということを医者から説明されたことも一つの要因だった。

事故の見分調書に載せる写真を見ると、ぼくの大好きだったバイクが見難い姿で潰れていて、

ぶつかったとされているミニバン車のフロントガラスには、頭をぶつけたとされている大きなヒビ割れがあった。

「、、、、、、」

事故の記憶どころか、その日にバイクに乗った記憶すらなかったぼくは、涙すら出てこなかった。

ただ唖然とそれらを見ることしかできなかった。

スマホのラインを開くと、一部の人からぼくを労わるメッセージがきていたのだが、

なかなか現実を受け入れたくなかったぼくは、それらのトークを全部消してしまった。

辛かった。

痛みで起きる時もあれば、外に出るときには車椅子。

特定の時間になると看護士さんが足の患部を処置するのだが、そのあまりの痛みに傷を目視する勇気さえ芽生えてこなかった。

「びまん性軸索損傷」「高エネルギー外傷」「肝膵破裂」「脱臼開放骨折」

医師からは聞いたことのないような名前の症状を告げられるし、リハビリも「身体・言語・作業」と3種類の項目をしなければならなかった。

20歳という若さながら、歩くことができない、やりたいことができないという日々を過ごさなければならなかった。

今までは、退屈でつまらない思っていた "当たり前の日常" すらも遠い世界のような存在だった。

入院生活というのは、ほとんどをベットの上で過ごさなければならず、痛みも付きまとうものだから、精神的にめげてしまうことが多かった。

しかしそんな生活の中でも、楽しい時間というのはゼロではなかった。

入院生活で楽しい時間と言えば、病棟内で同じように入院生活をしている他の患者さんと話をするときだった。

「昔の俺はこんな人間だった。」

「若い頃の私はこんなことをしていたんだ。バカやってたと思うよ。」

「今日の天気はどんよりしてるなぁ、こんな時は酒でも飲んで気を晴らしたいよ。」

 それぞれの人がそれぞれの言いたいことを口にする。ぼくもそうした。

人間という生き物は、つらい時、不安な時、苦しい時には、不思議と人との繋がりを大切にする。

相手の話にはしっかりと耳を傾けるし、共感だってする。

ぼくが病棟で話した患者さんのなかには、同じようにバイク事故で負傷した人もいれば、加齢による不具合が原因で病気を患ってしまった人などと様々だった。

しかしながら、ぼくたちには「共通すること」があった。

それは、"あたりまえのことを失った" ということだ。

今までは、歩くことができるのは "あたりまえ" だったし、バイクに乗ることができるのも "あたりまえ" だった。

以前のぼくは、そういった日常に感謝をすることができていなかった。

もっと言えば、あたりまえの日常に飽きていて、退屈さえしていた。

思い返してみると、バイクを買った当時は、バイクに乗ることができるようになった日々に感謝をしていたはずなのに、それはいつの間にか "あたりまえ" になり、慣れていった。

「慣れる → 当たり前になる → 飽きる」 という仕組みの怖さを知った。

"ヒトは、失って初めて気づく" と言われているが、本当にその通りだと思った。

この記事を書いた目的の一つはここにある。

それは、本記事を読んでくださっている皆様に、

「あたりまえのことに感謝する時間を持とう」

ということを伝えたかったということだ。

日々刻々と、"あたりまえ" は変化していく。

あなたの周りにいる人が、突然いなくなってしまうことだってあるかもしれない。

そんな日々のなかでも、"感謝をする" だけで、「慣れる → あたりまえになる → 飽きる」 という負の連鎖に打ち勝つことができる。

そしてさらに、その "あたりまえの日常" の中でどれだけ努力するかということも重要だと思っている。

不足しているところばかりに目を向け、愚痴や不満を溢しているばかりでは、現実は何も変わらないし、成長もできない。

辛くても、苦しくても、努力をした先に光がある。

一時期は義足の話も持ち上がっていて、病院のベットの上で涙を流していたぼくも、

車椅子、松葉杖、一本杖、自転車、リハビリ、筋トレという様々な努力を経て、なんとか歩けるようになった今がある。

それには一年半以上の期間を要した。

その途中では、あまりの痛みに滅入ってしまい、いっそのこと義足にしてしまった方がラクになるんじゃないかと思ったこともあった。

現在も "痛みがゼロ" というわけではないので、日々、リハビリに励んでいる。

努力をしている時は、成果がなかなか現れないから、自分のしていることがバカらしく思えてくることもあるかもしれない。

痛くて苦しい時には、辛い、やめたい、逃げたいという気持ちに駆られてしまうこともあるだろう。

それでも、その気持ちを乗り越えた先に、思わぬところで成果が現れる。

これから先も努力をしなければならないことがたくさん待ち構えているはずだ。

コツコツ地道な努力の成果が出てくるのは、一年先かもしれないし、三年先かもしれない。

しかしながら、努力は色んなカタチで自分の力になるし、自分を裏切らない。

「あたりまえの日常に感謝して、努力する 」

これは、ぼく自身がバイク事故の経験を経てきたなかで得た、大切な教訓だ。